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慈眼寺の風景

慈眼寺の四季・春

SPRING

しだれ桜

慈眼寺の春を告げる
慈眼寺には芭蕉の句碑も境内に建立されており、古来よりしだれ桜の名所とし て知られています。
1250年まえの昔、聖武天皇の御代に良弁僧正が慈眼寺を 開創された後、南北朝の末、中興の折に乗弘大徳が『本尊聖観音の慈悲を里 人に』との願いを込めて植えられたのが、慈眼寺のしだれ桜です。

移り変わる時の流れの中で、人の世相も変わっていますが、人の心の中でいつ も求められている古風な寂(さび)や気品高い優雅さを、650年の間咲き続けて きたこの桜は深く感じ取らせてくれます。
少将桜の伝説

徳川氏三代将軍家光の時代、前橋城主は酒井忠清公でありました。

ある春の日のことです。忠清公は遠乗りに出かけ、途中、慈眼寺に立ち寄りました。見ると、境内には見事なしだれ桜が今を盛りと咲いています。
忠清公はしだれ桜の前にじっとたたずみ、飽くことなく花を愛でておりました。
忠清公は城へ帰っても、どうしてもしだれ桜のことが忘れられず、すぐに寺に申しつけると、しだれ桜を自分の部屋の前庭に移し植えてしまいます。
これで来年の春には、心ゆくまで花を楽しむ ことができると、忠清公は花の咲く日を今日か明日かと待っておりました。
しかし、しだれ桜はその春、花を一輪も咲かせませんでした。そればかりか葉も次第にしおれ、 幹も弱々しくなり、いまにも枯れそうになってしまったのです。
腕のいい庭師が呼ばれ、いろいろ手を尽くすも、しだれ桜は弱るばかりです。

そんなある日、忠清公が眠っておりますと、夢の中に美しい女性が現れ、はらはらと涙をこぼして泣くのです。
哀れに思った忠清公が「なぜ、そのように泣いておるだ?」と聞くと、
「はい、私はしだれ桜の精でございます。住みなれた寺が恋しくて恋しくて泣いております。
寺へ 戻りとうございます。どうか、戻らせてください。」とその女性は答えるではありませんか。
「そうか。しだれ桜が枯れそうなのは、そのためか。
それほど恋しい寺から、無理やり連れてきた私が悪かった・・・。わかった。明日にでもさっそく戻すことにしよう。」
驚いた忠清公がそう言うと、女性はにっこり笑って丁寧に頭を下げ、すうっと消えてしまいました。

不思議な夢を見たものだと思いながらも、すぐに忠清公は約束通り、しだれ桜を慈眼寺に戻し植えました。
すると、どうでしょう。その日からその桜の木は青々とした葉を広げ、たちまち生命をとりもどし、
翌春には、再び美しい花を咲かせるようになりました。
それから、人々は誰ということなく、忠清公の官位『侍従少将』をとって、
この桜のことを『少将桜』、別名『夜泣き桜』と呼ぶようになったということです。
そして、今でも春が巡ってくるたびに、この桜は美しい花を咲かせ続けているのです。

慈眼寺の四季

夏・SUMMER

SUMMER
慈眼寺の四季

秋・AUTUMN

AUTUMN
慈眼寺の四季

冬・WINTER

WINTER